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嘉慶十一年丙寅仲筋塩川水納三ヶ
村定納白上布同木棉布為宰領
宮古嶌罷登首尾能相勤帰嶌
同年十一月朔日為比嘉村耕作筆者
同十三年戊辰正月六日為仲筋村耕
作筆者
同十四年己巳八月二十一日赤八巻
頂戴
嶋
同年白上布同下布為宰領宮古
罷登御用筋濟帰帆之砌逢逆
風秋月佐渡守様御領内福嶋■次御
國許被送届次春御注文立馬艦ヨリ
帰嶌
同十五年庚午上納布為宰領宮古嶋
罷登首尾能相勤帰嶌
嘉慶十一(一八〇六)年丙寅、仲筋・塩川・
水納三ヶ村の定納する白上布・白木棉布の宰
領として宮古島に赴き首尾よく勤めて帰島した。
嘉慶年十一月朔日、比嘉村耕作筆者となる。
嘉慶十三(一八〇八)年戊辰正月六日、仲筋
村耕作筆者となる。
嘉慶十四(一八〇九)年己巳八月二十一日、
赤八巻を頂戴する。
嘉慶十四(一八〇九)年、白上布・白下布お
宰領として宮古に赴き御用を終わらせ、帰帆
する時に遭難し秋月佐渡守様の御領内である
福島に漂着、次いで御国許(沖縄島)に送り
届けられ、翌春の御注文立て馬艦船で帰島し
た。
同十五(一八一〇)年庚午、上納布の宰領とし
て宮古島に赴き首尾よく勤めて帰島した。