21ページ目

ページ数:021(全25ページ中)
  • 翻 刻
  • 現代語訳

「20
事を見て嬉戯これを学ふ孟母曰此吾子を
居所にあらす(及を見せ消ち)乃去て近市に(母田を見せ消ち)舎す孟子亦
学て貿易の事をなす母又曰此吾子を居所に
あらすみたひ遷て学宮之傍に舍す孟子の嬉戯に
揖譲進退之礼をなす母曰此真ニ吾子を居へし
遂に久く居之稍長て学に能て帰母方に織機時に
問て曰汝か学所如何答曰(身如たりを見せ消ち)自如たり母の以刀断機
孟子恐て母に其故を問母曰子か学を廃は吾
此機を如断孟子因て且夕に勤学て遂に大賢と
成給ふ
(台)柳(ルビ:レチ)公綽と云人は毎日早く起て諸子に教て皆装束して
親之安否を伺ひ読書せしめ其事終て教に
灑掃応対を以し家法を講し其子兄弟
二人皆尚書之官となり諸子侄之輩飲食皆蔬菜
なり学業末成者には肉食を不許(夫を見せ消ち)夫人韓氏熊之
膽を以て苦薬に和して為丸諸子をして口に含て

「20
それをまねて遊ぶようになった。これを見た孟母は、「ここは子どもを育てる場所ではない」と言い、家を市場の近くに移した。しかし、孟子は今度は商人たちの取引を見て、それをまねるようになった。
これを見た孟母は再び、「ここも子どもを育てる場所ではない」と言い、三度目に学問所の近くへ引っ越した。すると、孟子は学者たちが礼儀作法を学ぶ様子を見て、揖礼(ゆうれい:お辞儀)や進退の礼をまねるようになった。孟母はようやく「こここそ、わが子にふさわしい場所だ」と考え、そこに定住することにした。
孟子が少し成長し、学問に励むようになった頃のこと。ある日、母が機を織っていた時に孟子に「今日は学問の進み具合はどうか」と尋ねた。孟子は適当に「まあまあです」と答えた。すると、母は突然、織っていた布を刀で断ち切ってしまった。
驚いた孟子が理由を尋ねると、母は「お前が学問を怠ることは、私がこの機を断ち切ることと同じだ」と諭した。これを聞いた孟子は深く反省し、それ以来、朝から晩まで学問に励むようになり、ついには偉大な賢者となった。
柳公綽(りゅう こうしゃく)という人は、毎朝早く起きて、子どもたちに教育を施した。彼らに身なりを整えさせたうえで、まず親の安否を尋ねさせ、その後、読書をさせた。その学習が終わると、掃除や礼儀作法を教え、さらに家のしきたりについて説いた。その結果、彼の息子である兄弟二人はともに尚書(高級官僚)の位にまで上りつめた。
また、甥たちも含めて、家族の若者たちの食事は基本的に野菜が中心であり、学業を修めていない者には肉食を許さなかった。さらに、夫人である韓氏は、熊の胆(にがい薬)を丸薬にして子どもたちに口に含ませ、
横にスクロールをして閲覧してください