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    常標塩川仁也
  童名那邊
  父多良間船筑常基九代塩川仁也
   常邑
  母塩川村百姓那邊女思伊
  嘉慶五年庚申十一月二十四日生
 尚灝王世代
  道光二年壬午五月十日結片髪
 
  口上覚
塩川村拾番宮国筑登之與内塩川尓也男子
 御札歳壱          な邊
  右乍恐申上候、私事行歳四拾餘相成
  男子壱人茂出生不仕至極欲入申事御座
  候處、塩川村な邊女子おかい与申者取合
  彼な邊生産仕置申事御座候間、何与そ  御憐憫被思召上、跡目被仰付被下度奉願候、

  常標塩川仁也
 童名は那邊。
 父は多良間船筑常基から九代目の塩川仁也
  常邑。
 母は塩川村百姓那邊の娘で思伊。
 嘉慶五年(一八〇〇年)庚申十一月二十四日
  生まれ。
尚灝王世代
 道光二年(一八二二年)壬午五月十日、
  片髪を結う。
   口上覚
塩川村十一番宮国筑登之の与内である塩川尓也の男子
 御札歳一          なべ
 右について恐れながら申し上げる。私は今
 四十歳余りとなったが男子が一人も生まれず、
 非常に(男子を)望んでいたところ、塩川村
 なべの女子でおかいという者と交際して、こ のなべは(男子を)出産した。このため、ど うぞご憫れみを頂き、(この男子を)跡継ぎと
 することを許可して頂きたくお願い申し上げ
 る。
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