50ページ目
- 翻 刻
- 現代語訳
「50
同六日甲寅、晴天、風午未之間
一多良間嶋首里大屋子宮平「良教」并御用布宰領塩川村耕作仮筆者池村朝伊、幸地船江御
乗合、未明ニ出帆、入「相」時分迄相見得候事、
同七日乙卯、晴天、風卯之方、
一右船之儀、宮古嶋近ク為乗行事候處、高風相成乗行方不罷成由ニ而、八ツ時分当津取着
仕候事、
一火輪船壱艘、九ツ時分申酉之間ゟ走出、当嶋前ノ沖ゟ宮古嶋之様通船いたし候事、
一世之為御願として役人・筆者・加勢、村中之面々召列、各構之嶽々江御願相勤候事、
六月六日甲寅、晴天、風は午未の間(南よりの南南東)。
一、多良間島首里大屋子の宮平良教と御用布宰領役の塩川村耕作仮筆者池村朝伊は、幸地船に乗船して未明に出港したが、入り相い時分(夕刻)まで(帆影)は見えていた。
六月七日乙卯、晴天、風は卯の方(東)。
一、右の幸地船は、宮古島近くまで航行していったが、高風(逆風)となり、宮古島への入港が困難となったとのことで、八つ時分(午後三時頃)に当津(多良間の港)にたどり着いた。
一、火輪船(蒸気船)一艘が、九つ時分(午後一二時頃)、申酉の間(西南西)の方角から現われれ、当島(多良間島)の前の沖合いから宮古島へ向けて通過していった。
一、世の為の御願(祈願)として、役人・筆者・加勢らは、村中の者たちを引き連れて、それぞれの属する各御嶽へ赴いて、祈願を勤めた。
