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乾隆三十二亥年野里親雲上仕次
一 乾隆三十一戌年、構之杣山敷見検致、勤
   日数九日
右同
一 同年、耕作方下知、勤日数百九拾日
右同
一 同年、仲筋塩川弐ケ村仕立蘇鉄□□
   所々欠所植補并草□下知勤日数
   弐日
右同
一 同年、仲筋塩川弐ケ村境火道明通、勤日数
  弐日
右同
一 同年、多良間船并水納船修補下知
   勤日数二日
右同
一 同年、唐苧敷草払并甕入下知勤
   日数拾二日
右同
一 同年、御物穀舂調并定納布品調部、

乾隆三十二の亥年に、在番の野里親雲上が追加
一 乾隆三十一年の戌年は、管轄の杣山敷を巡見したときの勤日数は九日です。
右に同じ
一 同年、耕作方の指揮としての勤務日数は百九拾日です。
右に同じ
一 同年、仲筋・塩川の二か村が造った蘇鉄□□が所々欠けていたので、植えて補うとともに、草□の指揮としての勤務日数は二日です。
右に同じ
一 同年、仲筋・塩川の二か村境の火道を明け通すときの勤務日数は
  二日です。
右に同じ
一 同年、多良間船並びに水納船の修理の指揮としての勤務日数は二日です。
右に同じ
一 同年、唐苧敷の草払いと甕入の指揮としての勤務日数は一二日です。
右に同じ
一 同年、御物穀の舂き調え並びに定納布の品質調査としての
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