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一 同年、飛船水納船より宮古嶋江罷登り
   首尾能相勤帰島
一 同年、仲筋塩川両村構之杣山敷見分
   格護并時々仕事之時、下知筆者
   勤日数弐拾八日
乾隆二十八未年目取真親雲上仕次
一 乾隆二十七午年、仲筋塩川水納〆
   三ケ村、白上布同下布調部筆者
   勤日数七日
一 同年、仲筋塩川〆二ケ村唐苧敷見分
   ニ付、勤日数拾日
一 同年、仲筋塩川〆弐ケ村御物穀舂
   調積入并貯穀取〆筆者勤日数
   拾六日

一 同年、飛船としての水納船から宮古嶋へ渡り、きちんと勤務し帰島しました。
一 同年、仲筋・塩川両村管轄の杣山敷を巡視して、管理並びに時々の仕事のとき、下知筆者としての勤務日数は二八日です。
乾隆二十八年の未年に、在番の目取真親雲上が追加
一 乾隆二十七年の午年は、仲筋・塩川・水納の三か村の白上布・同下布調部筆者としての勤務日数は七日です。
一 同年、仲筋・塩川の二か村の唐苧敷を巡視したときの勤務日数は一〇日です。
一 同年、仲筋・塩川の二か村の御物穀を舂き調え、積入並びに貯穀取締筆者としての勤務日数は一六日です。
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