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  • 現代語訳

一 同年、百姓家百九十三軒、大風ニ被傾倒候ニ付
   造り直下知、勤日数三拾一日
一 同年、仲筋塩川二ケ村定納帳、勘定加勢
   筆者、勤日数七日
一 同年、耕作方下知勤日数弐百四日
 合勤星七百四拾七日
乾隆二十六巳年在番大山里之子親雲上仕次
一 乾隆二十五辰年、構之杣山敷御仕事下知勤
   日数五拾一日
一 同年、仲筋塩川〆弐ケ村、白下布調部
                四日
   筆者、勤日数五十一日
一 同年、仲筋塩川〆弐ケ村嶽之倒福木
   伐取下知筆者、勤日数五日
一 同年、唐芋?敷下知、勤日数拾一日
                      百拾九日
一 同年、耕作方下知勤日数百九日

一 同年、百姓家一九三軒は、台風で倒されたので、
   造り直の指揮として勤務日数は三一日です。
一 同年、仲筋・塩川の二か村の定納帳の勘定加勢筆者としての勤務日数は七日です。
一 同年、耕作方の指揮としての勤務日数は二〇四日です。
 合計した勤星は、七四七日です。
乾隆二十六年の巳年に、在番の大山里之子親雲上が追加
一 乾隆二十五年の辰年は、管轄の杣山敷御仕事の指揮としての勤務日数は五一日です。
一 同年、仲筋・塩川二か村の白下布調部筆者としての勤務日数は四日です。
一 同年、仲筋・塩川二か村の嶽の倒れた福木の伐取下知筆者としての勤務日数は五日です。
一 同年、唐芋?敷の指揮としての勤務日数は一一日です。
一 同年、耕作方の指揮としての勤務日数は一一九日です。
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