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一 同二十三寅年、八重山島春立船、於水納島
   破損之時、下知加勢筆者勤日数四拾
   二日 但、現勤二拾一日
一 同年、水納船作事筆者勤日数四拾日
   但、現勤二拾日
一 同年、塩川村與人役屋普請筆者勤日
   数四拾二日 但、現勤二拾一日
 乾隆二十三年戊  寅七月廿日、仲筋村為杣山筆者
一 乾隆二十三寅年、構之杣山仕事下知勤
   日数百八拾八日 但、現勤七拾九日
一 同年、仲筋村唐芋?敷仕立下知勤日数
   二拾日 但、現勤拾日
合勤星七百八拾弐日
  内

一 同二十三年の寅年は、八重山島春立船が水納島において破損の時、下知加勢筆者としての勤務日数は四二日です。但し、実質的な勤めは二一日です。
一 同年、水納船の作事筆者としての勤務日数は四〇日です。但し、実質的な勤めは二〇日です。
一 同年、塩川村の與人役屋の建築のときの筆者としての勤務日数は四二日です。但し、実質的な勤めは二一日です。
 乾隆二十三年戊  寅七月二十日、仲筋村の杣山筆者になりました。
一 乾隆二十三年の寅年は、管轄の杣山仕事の指揮としての勤務日数は一八八日です。但し、実質的な勤めは七九日です。
一 同年、仲筋村の唐芋?敷の作成の指揮としての勤務日数は二〇日です。但し、実質的な勤めは一〇日です。
合計した勤星は七八二日です。
  内
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