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  • 現代語訳

   当島疱瘡相時行候ニ付、飛脚使被仰付、
   宮古島罷登、首尾能帰島
         一度八重山島
合旅二度内
一度宮古島
合勤星千九百八十九日
    狩俣にや二男跡目当歳二十四、仲筋村杣山筆者
               狩俣にや玄典
  乾隆二十四年迄勤役五年
 乾隆二十年乙  亥五月廿五日、為杣山仮筆者
一 乾隆二十亥年、杣山仕事下知筆者勤日数
   九十二日 但、現勤四十六日
一 同年、耕作方下知加勢筆者勤日数五拾
   四日 但、現勤二十七日
一 同年、貯穀舛目糺加勢筆者勤日数
   四日 但、現勤二日

当島で疱瘡が流行っていたので、飛脚使を命じられ、宮古島へ出向き、勤務を終え無事に帰りました。
旅の合計は二度で、その内一度は八重山島へ、もう一度は宮古島です。
合計した勤星は一、九八九日です。
         狩俣にやの二男で跡目二十四歳の仲筋村杣山筆者
                  狩俣にや玄典
  乾隆二十四年までの役勤めは五年です。
 乾隆二十年乙亥五月二十五日、杣山仮筆者になりました。
一 乾隆二十年の亥年は、杣山仕事の下知筆者としての勤務日数は 九二日です。但し、実質的な勤めは四六日です。
一 同年、耕作方の下知加勢筆者としての勤務日数は五四日です。但し、実質的な勤めは二七日です。
一 同年、貯穀舛目糺しの加勢筆者としての勤務日数は四日です。但し、実質的な勤めは二日です。
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