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              狩俣筑登之親雲上嫡子
                狩俣にや玄次
一 乾隆三午年より、同十丑年迄八ケ年、塩川村
   耕作方下知勤日数七百六拾日
乾隆十一年丙  寅二月十四日、塩川村為耕作筆者
一 乾隆十一寅年、耕作方下知勤日数九拾五日
一 同十二卯年、耕作方下知勤日数九十五日
一 同十三辰年、耕作方下知勤日数九拾五日
一 同十四巳年、耕作方下知勤日数九拾五日
一 同年、塩川村與人役屋普請筆者勤日数
   二拾一日
一 同十五午年、耕作方下知勤日数九拾五日
一 同年、杣山仕事下知勤日数五日
一 同年、塩焼出勤日数二十七日
一 同十六未年、耕作方下知勤日数九拾五日

                    狩俣筑登之親雲上の嫡子
                        狩俣にや玄次
一 乾隆三年の午年から、同十年の丑年まで八ケ年間は、塩川村の耕作方の指揮としての勤務日数は七六〇日です。
乾隆十一年丙  寅二月十四日、塩川村耕作筆者になりました。
一 乾隆十一年の寅年は、耕作方の指揮としての勤務日数は九五日です。
一 同十二年の卯年は、耕作方の指揮としての勤務日数は九五日です。
一 同十三年の辰年は、耕作方の指揮としての勤務日数は九五日です。
一 同十四年の巳年は、耕作方の指揮としての勤務日数は九五日です。
一 同年、塩川村の與人役屋の普請筆者としての勤務日数は二一日です。
一 同十五年の午年は、耕作方の指揮としての勤務日数は九五日です。
一 同年、杣山仕事の指揮としての勤務日数は五日です。
一 同年、塩焼の出勤務日数は二十七日です。
一 同十六年の未年は、耕作方の指揮としての勤務日数は九五日です。
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