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春善水納筑登之
 童名宇増呂
*♯1-4では(父母同兄春珍)とあり/本条により♯1-4にくらべ前後の春善を軸に後裔が記述されていることが分かる
 父春源十代池間筑登之春如
 母仲筋村百姓宇毛屋仲宗根女屋眞
  ★康煕五十一年壬辰四月十八日生★
  ★乾隆二十年乙亥四月六日死★
 乾隆八年癸亥四月七日生
尚穆王世代
 乾隆二十年〔        〕(♯1-4では・・・乙亥八月九日結片髪 とあり)
尚灝王世代
 嘉慶十年乙丑八月十五日筑登之座敷頂戴
 同十五年庚午十二月十八日去
*♯1-4では次に以下の記事あり
   春快下地尓也
 童名武佐
 父母同兄春珍
 乾隆十二年丁卯四月七日生
尚穆王世代
 乾隆二十一年丙子五月五日結片髪
 同五十七年壬子十月十六日赤八巻頂戴
 道光元年辛巳六月二十五日去
   春業水納尓也
 童名山良
 父母同兄春珍
 乾隆十七年壬申六月五日生
尚穆王世代
 乾隆三十年乙酉八月八日結片髪
 不禄年号月日不詳

春善水納筑登之
 童名は宇増呂。
 父は春源より十代目の池間筑登之春如。
 母は仲筋村百姓で宇毛屋仲宗根の娘の屋真。
  ★康煕五十一(一七一二年)年壬辰四月十八日生まれ。★
  ★乾隆二十年(一七五五年)乙亥四月六日亡くなる。★
 乾隆八年(一七四三年)癸亥四月七日生まれ。
尚穆王世代
 乾隆二十年(一七五五年)〔        〕
尚灝王世代
 嘉慶十年(一八〇五年)乙丑八月十五日、筑登之座敷を頂戴する。
 嘉慶十五年(一八一〇年)庚午十二月十八日亡くなる。
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