扁額(塩川御嶽①)

資料について

3月10日無類之拳波涛民家並破地形当餓死因従宮古還二百十石斛余積馬艦船且●五六斛余宛●送楷立船五艘凌赤三百七十斛余以地船積濱為救済十六品とあり、13人の役人が書かれている。これらの役人たちが主体となって、明和の大津波後の多良間村民の惨状を救済にあたったということである。明和の大津波は、乾隆36(1771)年旧暦3月10日の朝、多良間島をも襲い、島の全てを奪いさった。その数ヵ月間、多良間島民は宮古島からの救米で飢えをしのいだといわれている。

資料詳細

資料名 扁額(塩川御嶽①)
カテゴリー 多良間村の扁額
ページ数 1ページ
資料コード 4-10
キーワード 歴史
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001 扁額(塩川御嶽①)